こんにちは、RO-KIです。今回はの日本酒業界が直面している「廃業」という現実と、そこから立ち上がろうとする「再生」のストーリーについて、私なりの視点で深く掘り下げていきたいと思います。今の市場環境やリノベーションによるカフェ、宿泊施設への転換といった最新の動きを網羅的にまとめました。この記事を読み終える頃には、滋賀の酒文化の現在地と、私たちがどう応援していけるかが、はっきりと見えてくるかなと思います。
滋賀県は、琵琶湖を取り囲む山々からの豊かな伏流水と、広大な平野で育つ近江米という、酒造りには欠かせない最高の資源が揃った場所ですね。そんな歴史ある「近江の酒」ですが、最近では「あの蔵も閉まったらしいよ」といった寂しいニュースを耳にすることが本当に増えてきました。滋賀県 酒蔵 廃業という言葉で検索される方も、かつての馴染みの味がどうなったのか、あるいは地域の文化がどう変わろうとしているのか、不安や疑問を感じているのではないでしょうか。
- 滋賀県内で近年相次いでいる主要な酒蔵の廃業実態とブランドの行方
- 日本酒消費量の激減や「桶売り」ビジネスの終焉といった構造的な原因
- 廃業した酒蔵の建物を活かしたカフェや宿泊施設など最新の再生事例
- 地域住民やクラウドファンディングが支える新しい酒造りへの挑戦
滋賀県の酒蔵で廃業が加速する背景と市場の現実
滋賀の酒造りは今、単なる産業の衰退ではなく、時代に合わせた「姿を変えた継承」の時期に来ているのかもしれません。まずは、私たちが直面している厳しい現実から見ていきましょう。
近江酒造の志賀盛が幕を下ろした衝撃の理由
2023年、滋賀県の日本酒ファンに激震が走りました。東近江市八日市上之町で100年以上の歴史を紡いできた近江酒造株式会社が、酒類製造販売事業を実質的に終了するというニュースが流れたからです。代表銘柄の「志賀盛(しがさかり)」は、滋賀の旧称である「志賀」の地が、酒造家や酒販業者とともに大いに繁栄することを願って命名されたものでした。地元では「お祝い事なら志賀盛」と言われるほど、地域アイデンティティの一部となっていたお酒です。
なぜ、これほど愛されていた蔵が事業を終えることになったのでしょうか。そこには、単一の理由だけでは語れない、現代の酒蔵が抱える複合的な苦悩が見え隠れします。まず、全盛期に導入した大型設備の維持費と、それに伴う老朽化の問題です。近江酒造はかつて大量生産にも対応できる体制を整えていましたが、市場のニーズが「量から質」へ、あるいは「日本酒から他のお酒」へと移り変わる中で、巨大な設備はかえって経営を圧迫する重荷となってしまいました。
伝統の継承と現実的な経営判断の狭間で
南部杜氏の流派を汲み、糖類を一切使わない純粋な酒造りにこだわっていた近江酒造ですが、職人の高齢化や後継者の確保という問題も避けては通れませんでした。酒造りは冬の過酷な労働であり、高度な技術が必要です。これを今の時代にビジネスとして継続し、さらに設備投資まで行うという決断は、私のような外野が想像する以上に重いものだったはずです。地域の誇りを冠した「志賀盛」という名前が、現役の銘柄として店頭から消えていくのは本当に寂しいことですが、これは滋賀県全体の酒蔵が直面している「縮小する市場での生き残り」という課題を象徴する出来事だったと言えます。
宇野本家の榮爵など歴史ある銘柄の消失
守山市にかつて存在した宇野本家の廃業も、滋賀の歴史を語る上で見逃せません。この蔵の最大の特徴は、何と言っても第75代内閣総理大臣を務めた宇野宗佑氏の生家であったことです。代表銘柄の「榮爵(えいしゃく)」は、その格調高い名前とともに、守山市のシンボル的な存在でもありました。江戸時代から続く旧街道沿いの風情ある蔵構えは、通る人の目を引く美しいものでしたね。
しかし、時の首相を輩出した名門であっても、時代の波は容赦なく押し寄せました。嗜好品の多様化や、日本酒そのものの消費スタイルの変化により、かつてのような「地元の名士が支える贈答品」としての需要だけでは、蔵を維持していくことが困難になったのです。歴史的な知名度があり、政治的な背景があっても、ビジネスとしての収益性が伴わなければ伝統を守り続けることはできない。宇野本家の清算というニュースは、酒造業がいかに厳しい経営環境に置かれているかを改めて知らしめる結果となりました。
現在、宇野本家の跡地は住宅地や更地へと姿を変えていますが、当時の面影を残す資料やエピソードは今も地元の方々の間で語り継がれています。名門の蔵が消えることは、その土地の歴史の一部が削り取られるような喪失感がありますが、それほどまでに今の酒造業界は、ネームバリューだけでは突破できない構造的な問題を抱えているのが現状かなと思います。
消費量減少と桶売りの終焉による構造的要因

滋賀県の酒蔵がここまで苦境に立たされている理由を深掘りすると、非常に根深い「構造的な弱点」が見えてきます。それは、かつて滋賀の多くの蔵が頼りにしていた「桶売り(おけうり)」という仕組みの崩壊です。桶売りとは、自社ブランドで売るのではなく、灘(兵庫)や伏見(京都)の超大手メーカーに、原酒の状態でバルク販売するビジネスモデルのことです。これによって、滋賀の小規模蔵は宣伝や営業活動をせずとも、安定してお酒を売ることができていた時代がありました。
しかし、日本酒全体の消費量がピーク時の1990年代から3分の1程度にまで落ち込む中で(出典:国税庁『酒のしおり』)、大手メーカーは外部からの調達を真っ先に削り、自社生産分で賄うようになりました。これにより、自社ブランドを育ててこなかった蔵は、突然「売り先」を失うことになったのです。
滋賀県の酒蔵は全国的に見ても非常に規模が小さく、1社あたりの製造量は京都の約20分の1に過ぎません。この「小ささ」はかつては協力体制の要でしたが、現代のブランド化競争においては、資金力や発信力の欠如という致命的な弱点になってしまいました。自社でラベルを貼り、ファンを作り、販路を広げるという「当たり前の商売」への転換が遅れた蔵から、廃業の波に飲まれているのが現実です。
私たちが住む滋賀県で、伝統を守りながら商売を続けるためには、もはや美味しいお酒を造るだけでは足りない時代になっています。いかにして自社の価値を消費者に直接届けるか、その戦略が蔵の寿命を左右していると言っても過言ではありませんね。
昭和の記録に残る幻の酒蔵とラベルの記憶
※画像はイメージです
酒蔵が姿を消しても、人々の記憶に残るのが「お酒のラベル」です。昭和時代の日本酒ラベルは、今見ると非常に凝ったデザインが多く、その一つ一つに蔵のこだわりが詰まっています。滋賀県の古い民家の整理や、酒販店の倉庫の片付けなどで見つかる古いラベルは、当時の活気ある滋賀の姿を今に伝えるタイムカプセルのような存在です。当時のラベルには、その土地の風景や縁起物が描かれており、見ているだけで当時の宴会の喧騒が聞こえてくるようです。
こうした「幻のラベル」に刻まれた蔵たちは、かつて近江商人の精神を受け継ぎ、地元の農家と手を取り合って、最高の一献を追求していました。現在、ネット上でこうした古いラベルを収集して公開している愛好家もいますが、それは単なるコレクションではなく、失われゆく地域の歴史をアーカイブする大切な活動だと思います。もし、ご実家や古い知り合いの家で、見たこともない銘柄の瓶や看板を見つけたら、それは滋賀の酒造史における貴重なピースかもしれません。
記憶を繋ぐことが未来の酒造りを支える
廃業した蔵の情報を掘り起こすことは、決して後ろ向きなことではありません。過去にどのような蔵があり、どのような味が愛されていたかを知ることは、今頑張っている現役の蔵への理解を深めることにも繋がります。「かつてはここにこんなに素晴らしい蔵があったんだよ」という語り部がいることで、私たちの酒文化に対するリテラシーが高まり、結果として本物の価値を見分ける目が養われるのではないかな、と私は信じています。
滋賀県の酒蔵が廃業した跡地を再生する新たな試み
ここまでは少し重い話が続きましたが、希望の光もたくさんあります。滋賀県内では、廃業した酒蔵の「建物」を地域の宝と捉え、全く新しい形で蘇らせる動きが活発化しています。重厚な梁、高い天井、ひんやりとした土蔵。酒造りのために作られたこれらの空間は、現代において宿泊施設やカフェ、アートギャラリーとして、唯一無二の魅力を放っています。ここからは、廃業のその先にある「再生」のモデルケースを詳しく見ていきましょう。
近江八幡のまちや倶楽部で味わう宿泊体験
近江八幡市の歴史的な街並みの中で、ひと際存在感を放っているのが「まちや倶楽部」です。ここはもともと「西勝酒造(にしかつしゅぞう)」という歴史ある酒蔵でしたが、現在はその壮大な空間を活かした複合型宿泊施設へと生まれ変わっています。一歩足を踏み入れれば、そこには明治時代からの時間が止まったかのような、凛とした空気が流れています。酒蔵特有の大きな木造建築が、これほどまでに落ち着く空間になるのかと、初めて訪れた時は驚きました。
ここでは「Machiya Inn Omihachiman」として、かつての蔵人の寝室や作業スペースを改装した客室に泊まることができます。巨大な酒樽が置かれていた形跡や、道具を運ぶために作られた通り土間など、随所に酒造りの歴史が息づいています。最新のホテルにはない「建物の記憶」とともに過ごす時間は、滋賀を訪れる観光客にとって忘れられない体験になっているようです。単に廃業して壊されるのではなく、宿泊という形で建物の命が引き継がれているのは、ファンとしても嬉しい限りですね。
旧西勝酒造をリノベーションした文化財の価値
この「まちや倶楽部」の素晴らしい点は、単なる再利用にとどまらず、建物の歴史的価値が公的に認められている点です。2022年には、旧西勝酒造跡建物が国の登録有形文化財に登録されました。お米を洗うための「洗場」や、お酒を醸す「仕込蔵」などが一連のセットで残っているケースは全国的にも珍しく、当時の酒造り工程を学術的に知る上でも重要な資料となっています。
- 洗場(あらいば):明治初期の建築で、重厚な土蔵造りが特徴。現在はイベントスペースとしても活用。
- 仕込蔵・通り蔵:かつてお酒の芳醇な香りが満ちていた空間。リノベーションにより快適な居住性を確保。
- 地域コミュニティの核:コワーキングスペース「co-ba omihachiman」も併設され、新しい働き方を提案。
このように文化財として保護されることで、建物の改修には制限も出ますが、その分「守るべき価値」が明確になります。廃業した蔵が、今度は「地域の歴史の守り神」として新しい役割を担い、次世代に引き継がれていく。この「アダプティブ・リユース(適応的再利用)」という考え方は、滋賀県全体の空き家問題や伝統建築の保護に対する一つの大きな答えになっていると思います。歴史に触れながらコーヒーを飲んだり、仕事をしたりできる場所。そんな贅沢が滋賀にはあるんです。
美冨久酒造の蔵カフェに見る現役蔵の多角化
廃業を未然に防ぎ、蔵の未来を守るために、現役の酒蔵も新しい仕掛けを始めています。甲賀市水口町にある美冨久酒造では、蔵の敷地内をリノベーションした「蔵カフェ 薫蔵(かぐら)」を運営しています。酒蔵を訪れるハードルを下げ、日本酒をあまり飲まない人や、運転で試飲ができない人にも蔵の雰囲気を感じてもらいたい、という想いから誕生しました。高い天井を見上げながら味わうスイーツやランチは格別ですよ。
こうした試みは、酒蔵にとって「ファンとの接点(タッチポイント)」を増やす非常に重要な戦略です。カフェを通じて蔵のファンになった人が、後でオンラインショップでお酒を買ったり、お土産に1本選んだりする。そうした「新しい応援の形」が生まれることで、経営の安定化に寄与しています。酒蔵を「お酒を造る工場」から「体験を提供する場所」へ。この視点の切り替えこそが、廃業リスクを減らすための最強の予防策になるのかもしれません。カフェのメニューには、酒粕を使ったオリジナルの料理などもあり、滋賀の食文化を再発見するきっかけにもなりますね。
現役の蔵が運営する施設は、酒造りの時期にはお休みになったり、営業時間が変更になったりすることがあります。せっかく訪れてもお休みだと悲しいので、お出かけ前には美冨久酒造の公式サイトやSNSで最新の営業情報を必ずチェックしてくださいね。
多賀町で廃業蔵をリキュール製造で蘇らせる挑戦
最近、私が最も注目しているのが、犬上郡多賀町の大滝地区で進んでいるプロジェクトです。なんと、30年以上前に廃業し、長らく「廃墟」同然だった酒蔵を、地域住民やNPO法人が立ち上がって再生させようとしているんです。地域のシンボルだった高い煙突を壊さず、もう一度そこに火を灯したいという情熱には、心から敬意を表したくなります。
面白いのはその手法です。いきなり免許取得のハードルが高い日本酒造りを目指すのではなく、地元の野菜やハーブを使ったリキュールの製造からスタートさせた点です。特産品のビーツを使った鮮やかな赤色のリキュールは、クラウドファンディングでも大きな話題を呼びました。リノベーション費用の一部を全国のファンから募り、地域の人たちも自分たちで壁を塗ったり片付けをしたり。まさに「手作りの再生」です。廃業して30年経った場所でも、想いがあれば新しい命が吹き込まれる。この事実は、滋賀の他の地域にとっても大きな希望の光になるはずです。2025年以降、自社での酒類製造免許の取得も計画されているそうで、これからの展開から目が離せません!
吉田酒造を承継しブランドを守るM&Aの形
事業の継続が難しくなった際、廃業という選択肢の他に「他者に託す」という道もあります。高島市マキノ町で「竹生嶋(ちくぶしま)」を醸す吉田酒造は、2022年に大きな決断を下しました。後継者問題などで経営の先行きが不安視される中、日本酒事業のサポートを行う専門企業、夢酒蔵株式会社に全ての株式を譲渡したのです。これは単なる身売りではなく、大切なブランドと雇用、そしてマキノの酒造りという伝統を守るための前向きな選択でした。
現在、吉田酒造は新しい経営体制のもと、伝統の味を守りつつも、新しい販路開拓やプロモーションに力を入れています。もしあの時、無理をして自力経営を続け、力尽きて廃業していたら、「竹生嶋」の味はこの世から消えていたことでしょう。専門的な知見を持つ外部パートナーと手を組むことで、地方の小さな蔵が生き残る道を見出す。こうしたM&A(合併・買収)による事業承継は、今後滋賀の酒造業界において、廃業を食い止めるための最も現実的で強力な選択肢になっていくのかもしれません。私たちは、変わらずそのお酒を買い続けることで、そのバトンタッチを応援していきたいですね。
滋賀県で酒蔵の廃業を乗り越え未来へ繋ぐ道
滋賀県の酒造業が歩んできた道は、決して平坦なものではありません。滋賀県で酒蔵の廃業が相次いでいるのは事実ですし、これからも厳しい冬は続くかもしれません。しかし、今回紹介したリノベーション事例や再生プロジェクト、そして勇気ある事業承継の形を見ていると、私は滋賀の酒文化の底力に改めて感動してしまいます。形は変わっても、この地で育った米と水への愛情、そしてお酒を通じて人々を繋げたいという想いは、決して絶えていないからです。
お酒は単なる飲み物ではなく、その土地の風土や歴史の結晶です。一つの蔵が消えることは、その風土の記憶が失われること。だからこそ、私たちは今の現役の蔵を全力で推し、廃業した跡地にできた新しい施設を訪れ、その場所が「地域の宝」であり続けるよう支えていく必要があります。この記事が、滋賀の酒蔵の現状を知り、皆さんが次の一杯を選ぶ際、あるいは週末のお出かけ先を決める際の、ささやかなガイドになれば嬉しいです。なお、本記事で紹介した各施設の詳細や営業状況、最新の事業動向については、必ず各公式サイトなどで最新情報をご確認いただくようお願いいたします。
- 歴史を知る:近江酒造や宇野本家など、消えていった蔵の足跡を胸に刻む
- 今を支える:現役の蔵が提供する「お酒」だけでなく「体験(カフェ・宿)」も楽しむ
- 未来を創る:リノベーションや事業承継という新しい波を、共感と消費で後押しする
- 現場を訪れる:滋賀の酒蔵や再生施設へ足を運び、自分の目で「今」を確かめる
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。滋賀県の酒蔵にまつわるお話、いかがでしたでしょうか。廃業という寂しい話題の裏側に、こんなに多くの情熱と再生の物語があることを、少しでも知っていただけたら幸いです。滋賀にはまだまだ、伝えきれない魅力がたくさんあります。それでは、また!


